あきれた

※ あまりに腹が立ったので、無駄に長くなってしまいました。
 御用とお急ぎの方は読まない事をお勧めします。
 ちょっとお時間があって、心の平静を保てるときにお読み下さい。

なんというか、こういう悪意を思わせる抗議はいい加減おさまらないものだろうか、と思います。

放射能心配…福島産花火、市民の抗議で使用せず
(2011年9月19日16時44分 読売新聞)

似たような事例が次から次へと出てきてますね。

国がちゃんとしないから悪いとか、色々な感想が出ているようですが、あの大震災から半年がすぎて、政府やら県庁やら政治家やら活動家やらが如何に役に立たず信用できないか、現実を直視できない事で有名な我々日本人にもそろそろわかってもいいようなものです。
この期に及んで、基準が変わるのが悪いとか、すべてのものをきちんと測れないのが悪いとか、そういう無理難題を言っても意味がなく、無駄なばかりか、混沌に拍車をかけるだけで非常によろしくありません。

いい加減に、自分の力でちゃんと放射能と放射線の影響について勉強して、この問題と正しく向き合えませんか。
国が教えてくれないから、国の基準がちゃんとしてないから、国の言うことが信用できないから、と文句を言っているだけでは、ただ口を開けてえさを待っている雛鳥とかわりません。
いい大人が、教えてくれないからわからない、決めてくれないから何もできない、保証してくれないから安心できない、と大合唱するのは恥ずかしくないのでしょうか。

ちょっと手を伸ばせば、ネットから、マスメディアから、書籍から、多くの情報を得る事ができます。
その玉石混淆な大量の情報から、論理的思考で「玉」を抽出して理論武装し、自分の生活に役立てていくのが、大人の知恵というものではないでしょうか。
また、自分の言動でどういう人がどう影響を受けるのか、誰をどう傷つけるのか、そういうことをきちんと判断して、相手のことを考えて行動するのが大人というものではないのでしょうか。

そう考えると、年齢的に大人であるはずの方々の知的水準と精神的水準の低さにあきれるばかりです。例えて言えば、政治的権利なんて持っていても百害あって一利なしなんじゃないかと思うくらい。そもそも健全な民主政治は、有権者が合理的な判断力を持っていることが必要なはずですから、この現状を見ていると、なるほど衆愚政治を生み出すわけだ、と納得してしまいそうです。

自分で勉強し、自分で考え、自分で判断する。
自立と自律。思いやり。
言葉にすると、いまさら言われなくても、という気になるものばかりですが、如何に実際に活かされていないことか。
まったくもって、あきれるばかりです。

About のるとまん

I'm a computer programmer, concerned to credit risk analysis (and bioinformatics before). I apologize for my inactiveness on this blog and twitter (ernst_nordmann).
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